信濃追分駅

しなの鉄道の最高所駅957m。
1909年(明治42年)6月25日 – 国有鉄道の追分仮停車場として設置、片面ホーム1つだけの簡素なものであった。

信濃追分駅停車場の設置は追分に別荘を建てた平井晴二郎鉄道院副総裁(当時)の指示によるものだが、追分から御代田までの勾配がきつく、下り列車が一旦停車する必要があったのが停車場設置の理由。当時の御代田駅はスイッチバック駅となっていた(現在はスイッチバック線路跡に引退したD51が展示されている)。

停車場は夏季に避暑客の行き来に供するための駅となり、その後約300mほど東側に移動して現在の信濃追分駅となった。

駅は現在は無人駅、駅舎は「あたらさん」編集室として使われていたが2020年をもって編集室も終了。駅ホームは追分有志によって植栽などが整備されていて、駅から眺める浅間山も正面から雄大である。「高原の駅よさようなら」という映画の別れの名シーンもあって鉄道紀行作家の宮脇俊三も「旅情を誘われ、信濃路の終わりを感じさせられる」駅として評価した。