油屋旅館と文化磁場油やの歴史

信濃追分は、今も噴煙をあげる活火山・浅間山麓に位置し、縄文時代からの歴史の痕跡を残す土地柄です。

現在、NPO「油やプロジェクト」が活動の拠点とする「文化磁場油や」は、江戸時代は中山道・追分宿の脇本陣であり、昭和になってからは文士の宿(「油屋旅館」)として、多くの文士・知識人が訪れ、執筆した旅館でした。

四季の景色も豊かな追分です、忙しい都会にはない静かな環境でその歴史に思いをはせながら、散策などスローな時間をお過ごし下さい。

追分/油屋関連年表

縄文時代 土器などが浅間山麓の広域から出土
平安時代 東山道。現在の千メートル林道北側は牧場であった。
室町時代 追分諏訪大明神に「大般若経」。浅間神社・社殿は室町時代の建築。
鎌倉時代 今はない自性院は修験道の道場であり、小祠は鎌倉時代の建築であった。
座禅窟、精進川など修験道の地名が残る。
江戸時代 徳川家が宿駅制度を制定(1602年)馬と人足を提供する中山道の宿場として、また北国街道との分岐点として栄える。(中仙道一里塚は現存)
「好色一代男」「西鶴諸国噺」「徘風柳多留」などに信濃追分の記述がある。
「芭蕉句碑(浅間神社)」「一茶句碑(諏訪神社)」がある。
浅間神社まえの常夜燈は江戸時代のもの。
元禄元年 油屋創業
幕末 明治維新の志士をかくまったという遊女・吉野太夫が処刑(吉野太夫の墓)
官軍を名乗る「赤報隊」が小諸藩と衝突(贋官軍事件/追分戦争)
和宮御降嫁の一行が中山道追分宿を通過
明治5年 遊女解放の布告
明治11年 明治天皇行幸(岩倉、大隈、山岡鉄舟など政府要人が随行)
明治18年 信越線 高崎~横川開通
明治19年 カナダ人宣教師ショー氏が避暑で軽井沢に訪れる
明治21年 信越線 直江津~軽井沢開通。鉄道開通で追分宿は寂れる。
明治22年 油屋は追分から軽井沢駅前に「新」油屋を開業。駅弁なども販売。
明治26年 信越線 横川~軽井沢開通 アプト式
明治41年 島崎藤村、油屋に宿泊。明治には森鴎外も宿泊の記録がある
明治42年 追分に夏期臨時停車場。油屋ほかに高等文官試験の学生多数宿泊。
大正元年 夏目漱石本陣に宿泊
大正2年 高木子爵、追分で始めての別荘、尾台別荘(兼常清佐など利用)
大正はじめ 若山牧水「信濃の高原」(大正2年)
田山花袋「東京の三十年」「追分の古い駅」
大川周明(大正6年)、川島芳子(大正8年)などの紀行文
大正12年 火山観測所が建設。追分駅は夏期臨時停車場から常設の駅に昇格。
北原白秋宿泊(大正12年4月)。北原白秋「追分」(赤い鳥S2・6月)
大正14年 堀辰雄、芥川龍之介、片山広子、追分にドライブに来る。
昭和11・12年 青山、東京女子大の寮建築。
昭和12年 油屋旧脇本陣焼失。堀辰雄は「かげろうの日記」原稿を郵便局に出しに行って難を逃れる。立原道造は逃げ遅れたが間一髪救出される。
昭和13年 油屋現建物復興。堀辰雄、立原道造、室生犀星などを発起人とする建物再興の募金活動3回(正月・8月・9月)
丸子町の豪農の建物(丸子御殿)を移築。
昭和19年 堀辰雄、油屋隣家に住む(昭和19年~昭和26年)
昭和~平成 油屋宿泊文士
志賀直哉、折口信夫、井伏鱒二、田宮虎彦、小島政二郎、田部重治、里見トン、国枝史郎、若林つや、川端康成、菊池寛、徳富蘇峰、前田青頓、中村真一郎、北条秀司、加藤周一、矢内原伊作、福永武彦、立原道造、野村英夫、津村信夫、室生犀星、丸岡明、中里恒子、片岡鉄平、村岡花子、片山広子、深沢虹子、後藤明生、竹久夢二、若山牧水、岡本かの子、小島信夫、佐多稲子、ほか
昭和60年 追分宿郷土館開館。信濃追分馬子唄道中のお祭りも同年開始、追分馬子唄道中を歌いながら、江戸時代の衣装に扮した約50人が練り歩く
平成7年 追分節発祥の地の石碑建立(浅間山さん なぜ焼けしゃんす..)
日本各地にある追分節民謡はすべて、信濃追分節が源流。
平成24年 建物を修理し「文化磁場油や」として、アート・クラフト・古本などの展示会場、イベント会場として営業開始。同時にNPO法人「油やプロジェクト」設立、「文化磁場油や」を拠点とする町おこしの活動開始。

写真と平面図

脇本陣油屋(江戸時代)
脇本陣油屋(江戸時代)
脇本陣油屋_平面図
脇本陣油屋_平面図
旧油屋旅館(明治時代-焼失前・写真)
旧油屋旅館(明治時代-焼失前・写真)
昭和時代の油屋旅館
油屋旅館 昭和時代